【再始動】悲しみを超えて!の巻

2020/08/07(金)

 

本日、母のお別れ会が終わったのて、ブログ再開です!

(-ω☆)キラリ

 

【8月1日】

ブログ休止したのが8月1日(土)。

この日は仕事で職場に居たのですが、10時くらいに奥様からワイの母が亡くなったとの連絡が入りました。

親父がワイに母が亡くなったことを伝えるつもりが誤って奥様に伝えてしまったそうです。。。

(ー_ー;)

母の死は悲しくもあるよーな、そーでも無いような、でもそーでもあるような、、、そこら辺を書きます。

 

■母

2018年11月に咳が止まらんとのことで、病院で検査したら末期の肺癌であることが分かりました。検査を進めていくと脳や肝臓にも転移しとりました。手術は不可能、体力的にも70半ばなので放射線治療は不可能とのことで、抗がん剤治療を選択しました。

あとはあるあるなのか、抗がん剤投与→癌細胞減るがしばらくすると復活→更に強い抗がん剤投与→癌復活と無限ループにはまりそうでしたが、抗がん剤の副作用が強く、母の意志により延命処置不要とのことで2020年5月くらいに抗がん剤での治療を止めました。その後は寝たきりで食事もとれず排泄も自らできなくなり、みるみる衰弱していきました。

母は父と二人暮しで所謂老老介護みたいでした。最終的にはヘルパーさんに来てもらったりもしました。ヘルパーさんのおかげでだいぶ助かりました。

また幸いワイは実家からチャリで15分くらいのとこに住んでいて、妹夫婦も1時間くらいのとこに住んてるのでちょいちょい看病がてら実家に行ってました。ただ妹も乳がんで3週間に1回のペースで抗がん剤投与しているので無理はさせられないっす

(`・ω・´)ゞ 

妹の意向で母には乳がんであることは最期まで伝え無かったです。妹は幸い早期発見で手術で胸を全摘して癌の大半は取り除けましたが、まだ癌細胞が体内に残ってるそうな。

(ー_ー;)

母に伝えるかどうかは家族で悩んだ時もありましたが、妹の意向を尊重しました。

だからワイが頑張らなきゃ!です。長男だから(-ω☆)キラリ

 

 

■死生観

寝たきりになった当初、母は「お父さんを残して先には逝けない」と言ってたり「死ぬのが怖い」みたいに言ってました。そーいうこと言われると胸に突き刺さるものがあります。

6月に看病しに行った時だったか「楽に痛く無いように死にたい」と母が言ってたのを聞いて、母にとって死が恐怖の対象から、死は自然なものと受け入れたような気がしました。生きることを諦めたというよりは、死が自然なものであり母の望みであるように私には聞こえました。(ワイの文章力でうまく書けない。)

母の台詞を聞いて、母の死を受け入れる覚悟が出来ました。ここら辺から母は緩和ケア病棟(所謂ホスピスみたいなの)への入所を希望し始めました。

 

 

■事故

7月29日に戸塚周回朝練で私は事故を起こしました。仲間や関係各所に多大な迷惑かけてしまいました。警察官にも言われましたが、この事故は一歩間違えてたら私は死んでたかもしれません。それが幸いなことに軽症で済みました。これは母が私を守ってくれたと思えた面もあったのでそこら辺を触れます。

 

この日は13時からホスピスへの入所説明を親父が病院に聞きに行く日でもありました。

母は寝たきりになって以降、親父や家族がそばに居ないと猛烈にものすごく寂しがります。もはや赤ちゃんです。妹もこの日はどうしても来れず、私も朝練後は仕事の予定でした。本来だと3時間ほど母は一人ぼっちになるはずでした。

ところが朝練で事故を起こした私。帰宅後アドレナリンなのか、虫の知らせなのか良く分からんのですが、胸がザワザワしました。急きょ有給ぶっ放して実家へ行きました。

親父が病院に行ってる間、母と3時間くらい二人で過ごしました。20年ぶりくらいに母と二人だけの時間を過ごしました。癌が脳にも転移してるので半分ボケがちな時もあるのですが、この日は意識がしっかりしていて、下の世話したり、水を飲ませたり、母の手を握りつつ色々な話しをしました。結果としてこの日が母との最後の別れになりました。そんな感じになるなぁと自分でも感じてました。虫の知らせとかいうやつでしょうか。不思議です。この時間のおかげで私は母との別れがきちんと出来たので後悔はありません。母は翌日の30日に入院しました。そして8月1日に天に召されました。

 

■お別れ会打ち合わせ

母の死の一報を受けた後は、職場の上司や同僚にその旨を伝え一度帰宅しました。職場には事前に母の余命が幾ばくも無いことは伝えていました。

病院に行き母の遺体と対面しようとも思ったのですが、すぐに都筑にある遺体保管所!?に運ばれるとのことで帰宅しました。母と過ごした先日の時間があるので特に遺体と対面したいとは思いませんでした。

夕方から母が生前お世話になっていた教会の牧師さんご夫妻と親父と妹とワイでお別れ会の打ち合わせを行いました。

母はクリスチャンなのでキリスト教式の葬儀というか親族だけのお別れ会を執り行うことにしました。生前に母はお別れ会のやり方に関して細かくメモを残していたのでその通りに打ち合わせしました。暑いしコロナ禍なのと参列者の大半が高齢者なので、参列者になるべく負担をかけたくないという母の配慮が読み取れたので、その通りに打ち合わせしました。牧師夫妻にお支払いする「お気持ち」も○○円と書いてくれてたので助かりました。

(^_^;)

火葬場が混雑してるとのことでお別れ会は8月7日(金)に執り行うことになりました。ちょっと先なので気持ちのやり場に困りました。打ち合わせ後は親父と妹と奥様と小僧たちでファミレスで食事をしました。

 

■自転車

帰宅後はローラーしました。こーいう時は若いGURENではなく、付き合いの長いチェントウノに寄り添ってもらいました。気分だけは御堂筋くんです。


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ただただ頭を真っ白にしたくなり心拍180以上まで持っていくよう意識しましたが、無理でした。。。

7月28日(火)には奥様と小僧たちが母の見舞いに行ってくれて最後の別れを済ませてくれました。上の小僧の誕生日が近かったので、母から直接上の小僧は誕生日プレゼントをもらったそうです。

母が亡くなったのは8月1日。私と妹の誕生日は同じ7月31日(双子ではありません)。母は私たちの誕生日まで頑張ってくれたんだなと思いました。。。

そんなことを思ってたら、汗なのか涙なのか分からんものが目から止めどなく流れてきました。。。

 

 

 

一段落ついたので復活です♪

またよろしくお願いします

m(_ _)m

 

あと93日。